浪漫飛行 ※米米CLUB ファンサイト

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米米CLUB ファンサイト

米米CLUBが好きです!好きすぎてこのようなファンサイトを作ってみました。サイト名は米米を代表する名曲「浪漫飛行」のタイトルを拝借しました。このサイトを見てもっと米米ファンが増えてくれるといいなーと思います。

米米CLUB

米米CLUB(こめこめクラブ、英: Kome Kome Club)は、日本の音楽バンド。略称は 米米(こめこめ)、K2Cなど。

1982年、文化学院の学生だった石井竜也と小野田安秀、大久保謙作、得能律郎らが中心となり結成され、1985年10月にレコードデビュー。ダンサーチーム「SUE CREAM SUE(シュークリームシュ)」、ホーンセクション「BIG HORNS BEE(ビッグ・ホーンズ・ビー)」、また、多くのサポートメンバーを伴う大所帯バンドである。1997年3月に解散コンサートを行い、活動を停止したが、2006年4月に復活。所属レコード会社は、ソニー・ミュージックレコーズ。公式ファンクラブに「COME COME CLUB」があった(1997年に解散)。

音楽的には、ファンクやニュー・ロマンティック、落語、ロック、歌謡曲、フォークな ど、雑多な要素を融合したもので、特に江戸落語の影響を強く受けた石井のステージングは、バンドの個性となっている。また、コンサート中盤に、ジェームス 小野田の登場シーンを設定する構成も独特で、毎回工夫が凝らされた小野田の登場は、コンサートのハイライトとなっている。

初期の頃は「米米クラブ」と表記だったが、3rdシングル以降には「米米CLUB」と表記されている。

メンバー

名前の後の()内は、本名、あるいは米米CLUB以外での活動名。

現メンバー

KOME KOME CLUB
  • ジェームス小野田(小野田安秀):ボーカル、コーラス、ギター、サックス(文化学院時代-解散, 2006年4月- )
  • カールスモーキー石井(石井竜也):メインボーカル、司会、コーラス(文化学院時代-解散, 2006年4月- )
  • BON(大久保謙作):バンドリーダー、ベース(文化学院時代-解散, 2006年4月 - )
  • Be(ベー)(林部直樹):ギター(1990年1月-解散, 2006年4月正式加入- )
  • ジョプリン得能(得能律郎):ギター、キーボード、鉄腕タヌキ(文化学院時代-1983年1月正式加入-1995年4月, 2006年4月- )
  • RYO-J(リョージ)(坂口良治):ドラムス(1985年6月-1995年4月, 2006年4月- )
BIG HORNS BEE
  • フラッシュ金子(金子隆博):キーボード、サックス、フルート、三味線(1987年7月-解散, 2006年4月- )
SUE CREAM SUE
  • Swing Sue・MARI(マリ)天ヶ谷真利:踊り子、パーカッション、ボーカル
  • Suzie Sue・MINAKO(ミナコ)金子美奈子:踊り子、振り付け、ボーカル(石井の実妹であり金子の妻)
K2C COUSIN

「K2C COUSIN」とはサポートメンバーを指す。

  • MATARO(三沢またろう):パーカッション、コーラス(1990年7月-解散, 2006年8月- )
  • MACHIKO(シタール・マチコ(菅木真智子):コーラス(1991年2月-解散, 2006年8月- )
BIG HORNS BEE
  • 河合わかば(河合伸哉):トロンボーン、サックス(1986年-解散, 2006年4月- )
  • 織田ノボッタ(織田浩司):アルトサックス(1990年7月-解散, 2006年4月- )
  • フッシー小林(小林太):トランペット(1991年2月-解散, 2006年4月- )
  • シローブラッキー(佐々木史郎):トランペット(2006年4月- )

脱退メンバー

ここでは正規メンバー・サポートメンバー共に表記している。

  • 博多めぐみ(坂本琢司):ギター(? - 1988年3月)
  • マル(丸山龍男):パーカッション(? - 1988年3月)
  • Sweet Sue・サトミ(松井聡美〈旧姓:青山〉):<SUE CREAM SUE>ダンサー(1984年 - 1988年3月)
  • ヒマラヤン下神(下神竜哉):<BIG HORNS BEE>トランペット(1986年 - 解散, 米米CLUB解散後、BIG HORNS BEEより脱退)
K2C COUSIN

1988年4月には、シュークリームシュが正式にメンバーとなって以来、米米CLUBのメンバーは8人という定義で活動していた。「8」という数にこだわり、1993年にはコンサート「THE 8TH OF ACE」で、デビュー8年目を記念し八角形の武道館で8日間公演を行った。1995年4月、その内2人の脱退を境に、BIG HORNS BEEのメンバーやサポートメンバーも米米CLUBの一員であるというスタンスを取るようになり、正規メンバーとサポートメンバーの区別をやめた。コンサート毎に違うサポートミュージシャンが 参加することが度々あった。以降はダンサーも増やしたため、メンバーの入れ替えや増加が激しく、彼ら自身ですら最終的に何人で活動しているのか分かってい ないことも多く、石井などはトーク番組で「うちはメンバーが何人いるのかわからない」とネタにしていたほどであった。なお、再結成後は正規メンバーとサ ポートメンバーの区別を再び行っている。また、定義上は「米米CLUBは8人」だが、現在はこれに林部が正規メンバーに加入し、9人として今に至る。

  • 丘くらら(倉丘孝尚):ギター(1988年 - 1989年)注1
  • BOSE(大儀見元):パーカッション(1988年 - 1989年)注2
  • ジュリアーノ奈良部(奈良部匠平):キーボード(1993年1月 - 1994年5月)
  • コータロー(竹下宏太郎):ダンサー、振り付け(1993年1月 - 解散, 2009年10月- )
  • シンジ(吉浦進二):ダンサー、コーラス(1995年7月 - 解散)
  • トシ(高畠俊男):ドラムス(1995年5月 - 解散)
  • ジュリアーノ勝又(勝又隆一):キーボード(1995年5月 - 解散)

注1)当時サポートメンバーといった位置づけでは無く、オーディションより選ばれ試験的に採用された。出演当時のライブビデオのクレジットには、名前の後ろに「Deshabarism Kenshusei」(デシャバリズム・研修生)と記載されていた。
注2)正式なサポートメンバーでは無く、ライブのゲストミュージシャンであった。

BIG HORNS BEE
  • G.I.GYO・ロッキー多田(多田暁):<BIG HORNS BEE>トランペット(1986年 - 1988年)
  • アンデス村田(村田陽一):<BIG HORNS BEE>トロンボーン(1986年)
  • ビューティー近藤(近藤和彦):<BIG HORNS BEE>サックス(1989年 - 1990年4月)

活動概要

初期

バンドの前身は、1979年-1981年に活動した「A-Ken」という映画研究会。「米米CLUB」というバンド名は当時人気のバンド「トム・トム・クラブ」 を、小野田が「コメコメクラブ」と言い間違えたことに周りが大ウケし、「そんなバンドあったら面白いよな」と言い合ったのが発端と言われている。また、石 井が冗談まじりに「とにかくダサいバンド名にしようぜ」と主張したという他にも、「雑誌などで注目してもらうため『※※クラブ』と名づけたが『米米クラ ブ』と誤表記されてしまった」という説もある。

1981年秋のある夜、大久保と小野田の2人は「米米クラブ」という架空のパロディバンドがあると仮定し、その時のノリで『私こしひかり』『奥さん米屋です』『夜泣き米屋』といったオリジナルソング10曲を作り、テープに録音する。しかし、それはほんの軽い遊びであり、以降は2人の記憶から消えていった。1982年3月には、文化学院を卒業。大久保は進学、小野田は就職、石井は街頭パフォーマンスなどをして過ごしていた。だが、1982年10月頃に、大久保と小野田がすっかり忘れていた「米米クラブ」の話を石井がどこからか聞きつけ、「"米米クラブ"ってバンドやろうぜ」としつこく言い出し、しぶしぶ大久保がリーダーとなり、昔の音楽仲間を集め、何とかバンドとしての体裁を整えたのが始まりである。

1982年11月21日に、慶應義塾大学三田祭でオリジナル曲8曲と山本リンダの『狂わせたいの』を披露。その場限りのおふざけバンドのつもりが、観客の好評を得た。メンバーも、ライブに空間的総合芸術の光を感じ、以後ライブハウスで活動を重ね「謎のパフォーマンス集団」などと呼ばれテレビや雑誌にも登場して話題となり、1985年10月21日に、シングル『I・CAN・BE』、アルバム『シャリ・シャリズム』で、CBSソニー(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)からメジャーデビュー。この頃、シングルやアルバム、雑誌では「米米クラブ」と表記されていた。だが、デビューお披露目ライブ直前にドラマーが脱退し、急遽スタッフが連れてきたcharがドラムを担当することになった。それ以降、charと米米クラブとは親密な仲となっていく。

この当時は、まだ駆け出しの新人バンドだったという事もあってか、楽曲レコーディングの際はプロデューサーの言うことを聞かざるを得ず、自分たちの 思い通りに演奏やアレンジをすることが出来なかった。「Paradise」の歌詞が2種類存在したり「sure danse」のアレンジがライブとアルバムで違うのはこのためである。これに関しては、当時メンバーも皮肉を込めて「アルバムはライブとは別物」「ノベル ティみたいなもの」などと語っている。

余談だが、フジテレビの冗談画報で「sure danse」のパロディ版「syunou danse」(収納箪笥)を披露。歌詞はもちろん振りつけ有りであった。 ミニアルバム収録の「Paradise」→「parodies」等、後述の“イロモノ”扱いはこういうところにも表れている。

ファンクミュージックをベースとした楽曲や演奏技術、メンバーの音楽センスは、高く評価する声もあったが、奇抜な衣装やメイク、コントのようなMCやキャラクター重視で寸劇混じりの演出などにより、デビュー当初は“イロモノ”として扱われることが多かった。当時、同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II、爆風スランプと合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていたこともあった。

1987年公開の映画「微熱少年」のダンスパーティーシーンに、当時EPICまたはCBSソニーに所属していたアーティストが数組エキストラとして出演することになり、米米クラブもワン・カット(特にセリフはない)出演している。

全盛期

1988年には、シングル『KOME KOME WAR』、アルバム『GO FUNK』が、1989年にはシングル『FUNK FUJIYAMA』、アルバム『5 1/2』が売上ランキング上位に入り、1990年、JALのCMソングに使用された『浪漫飛行』がミリオンセラー。次第にJ-POPバンドとして世間に認知されるようになった。ただ、世間でヒットした所謂売れ線系統の曲だけでなく、マイナーでディープなソーリー曲と呼ばれる楽曲も存在していた。ソーリー曲とは「ふざけた曲を歌っても、すぐに"Sorry"と謝り許してもらおう」「謝ってしまえば何でもあり」というような志向で作られた楽曲群であり、元々は「ウンコ曲」「企画物曲」と呼ばれていた。

ユニークなアルバム・タイトルが多く、ファーストアルバム『シャリ・シャリズム』(SHARI-SHARITHM)は、米米CLUBの活動のために立ち上げた個人事務所の名称(SHARISHARISM)でもあり、「米(シャリ)+リズム+〜イズム」の造語。セカンド・アルバム『E・B・I・S』は、個人事務所(SHARISHARISM)が恵比寿にあることから。他にはもじりを多用し、『KOMEGUNY』はロサンゼルスでレコーディングをしたことから「アメリカ=米国=こめぐに」、『GO FUNK』は「ご飯食う」、『5 1/2』は「5半=ご飯」、『聖米夜』は「精米屋」、『PhiⅡ』は「櫃」、ラスト・アルバムの『PUSHED RICE』は「押米=おしまい」など、ダブルミーニングなどを多用した凝ったものが付けられた。ファンクラブ名も「米米CLUB」をもじり「COME COME CLUB」(カムカムクラブ)という名前だった。

コンサートも、他のバンドとは位置付けが大きく違い、「音楽を演奏するためのコンサート」というより「エンターテイメントショーのメインが音楽」というスタンスであり、「何よりもライブが 活動の中心」という意識を強く持ち続けていた。多くのコンサートで2パターンないし3パターンの演出を準備し、セット・衣装・曲目ともすべて違うものを日 替わりで行うなど、ショーへのこだわりは徹底しており、リハーサルは本番と寸分違わずに行っていたという。コンサートツアーの度に新曲が披露されたが、最 後までレコーディングされず、コンサートでしか聴けなかった曲も多い。初期から演奏していた山本リンダの曲は、最後まで人気が高く、小野田のボーカルで『狂わせたいの』『どうにも止まらない』などをよく演奏していたが、『狙いうち』などは、原曲にはない3番を作詞して歌っていた。

また、ただ観せるだけではなく、石井を筆頭とするメンバーのパフォーマンスにより、観客をショーに巻き込む手腕も一流で、皆がシュークリームシュの振り付けを真似て踊ることも定番となり、アリーナクラスのホールでは壮観な客席風景となった。観客が振り真似などをするコンサートは当時まだ少なく、客席が舞台と一体感を味わうための創意工夫がされたコンサートの先駆けであった。メンバーの衣装を真似て自作しコンサートに着てくるファンも多く、コスプレの先駆けでもあった。それらが話題となり、コンサートのチケットは常に入手困難であったため、家庭用ビデオの普及も背景に、コンサートを収録したビデオの発売が熱望され、後に、映像作品としても評価されるコンサートビデオを制作した。

後期

1992年、フジテレビ月9ドラマ『素顔のままで』の主題歌に『君がいるだけで』 が起用され、300万枚近くの大ヒットを飛ばすと、米米CLUBの知名度は一気に上昇し、ファン層は拡大、それ以降の曲は、広いファン層や売上げを意識し たものが多くなっていった。彼らの特徴であったコミカルな要素が減り、フロントマンの1人であった小野田の活動は縮小、石井1人がメインボーカルを担当す ることが多くなった。そうした状況の変化は、これまではバンド活動を中心に行われて来た石井のアーティスト活動が、映画制作や個展といった公の場に移って いった。

そうした状況の変化が原因となってか、1995年には結成当初からのメンバーであった坂口と得能が脱退。米米CLUBの基本的姿勢として、すべての楽曲で「作詞・作曲(・編曲) 米米CLUB」とクレジットし、ギャラを全メンバーできっちり等分するというものがあったが、1993年頃から編曲の名義は個人名も出し、石井の映画主題歌などでは石井個人名義でクレジットする、などの行動があったことにより、軋轢が生じたとの見方もある。

2人の脱退をきっかけに、次第にバンド活動に困難が生じ、CDセールスにもその影響は現れるようになる。『JUST MY FRIEND』ではオリコントップ10から大きく外れ、翌1996年の『STYLISH WOMAN』ではオリコン20位以内にすら入らないなどヒット曲が出せなくなり、人気に陰りが見えてくる。この年は一切のライブ活動は行われず、11月に解散の発表がされ、1997年3月5日・6日に東京ドームで行われた「THE LAST SYMPOSIUM」を最後に解散、以後各々ソロ活動に入った。

再結成

2005年6月16日、古くから親交のあるCharの50歳のバースデーパーティーを開催するに当たり、Charの息子であるRIZEのJESSEが、「サプライズで米米をやってほしい」と石井やメンバーに頼み、石井もCharに恩返しするという意味も込めて、久々に演奏することになった。その際バンド名を「米米米CLUB」とし楽曲を演奏。10月21日には、デビュー20周年の日に、ファン投票によるリクエストベストアルバム『米 〜Best of Best〜』 がリリース。その頃から、石井がテレビやラジオの番組に出演した際、「米米に関して何か企画している」というような発言が聞かれるようになった。2005 年12月には、青山のライブハウスでシュークリームシュの一夜限りの復活ライブが行われ、米米CLUBのメンバーがバンドとして出演した。また、特別ゲス トとして小野田が出演し、往年のヒット曲を歌った。

2006年3月21日、石井のソロライブで米米CLUBのマスコットであった「ダブルドリブル」が登場し、「米米CLUB、はじめます!」と宣言。翌日午前0時ちょうどに公式サイトが立ち上がり「2006年4月1日か ら活動開始」との発表があった。後期にバンドを去った得能と坂口も参加しての再結成となり、当初10月まで期間限定の活動と告知された。もう決して若いと は言えなくなったメンバーたちの「もうひと弾けしたい」という気持ちが再結成につながったという。その後、3ヶ月連続のDVD付きシングル発売、大規模ア リーナツアーなどを発表する。各シングルは全てオリコン10位以内を獲得、ツアーチケットも全公演完売するなど、大きな話題となった。

そうした反応にメンバーが手応えを感じ、10月22日、横浜アリーナで 行われたツアーの最終日には、石井自ら期間限定を撤回し、活動を継続することを発表した。公式サイトには10月22日付で「米米CLUB」名義の期間限定 解除への経緯と解散撤回の決意を示すコメントも載せられ、翌年9月5日には再始動後初となるオリジナルアルバム「komedia.jp」を発売、オリコン チャート10位を記録した。なお、この解散撤回宣言は、「ソロ活動はしない」という意味ではなく、石井をはじめとする各メンバーのソロ活動も継続して行う としている。

2007年の第58回NHK紅白歌合戦に、第47回以来11年ぶりに出場。

2009年には、10月14日に2年ぶりの最新アルバム「SUNRICE」の発売が決定。全国ホールツアーとしては「a K2C ENTERTAINMENT SHARISHARISM DECADENCE」ツアー以来17年ぶりとなるホールツアー「SUNRICE〜宇宙からの地球編・地球からの宇宙編」を行い、追加公演として2010年 1月に横浜アリーナで「LOVE SUNRICE編・SUNRICE LIVE編」を行った。また、仙台公演中にカールスモーキー石井の体調不良により、2009年12月に予定されていた大阪公演は、2010年2月に延期と なり「宇宙からの地球編・地球からの宇宙編」で2月5日で千秋楽となった。

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